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今回は親と絶縁できたはずなのに罪悪感が拭えない…そんなあなたに読んでほしいお話です。
先日観たドラマ『19番目のカルテ』で母と娘の確執について描いている回がありまして。(第5話)
自分としても思うところがありありだったので、この話に触れつつ親と距離を取ることへの罪悪感について考えていきたいとと思います。
罪悪感のもやもやとの向き合い方もまとめますので、よかったら参考にしてみてくださいね。
スーパー医師茶屋坂先生と母親
日曜劇場『19番目のカルテ』この回は以下のようなあらすじでした。
心臓血管外科の茶屋坂心(ファーストサマーウイカ)は、卓越したオペ技術と華麗な経歴を持つ魚虎総合病院の看板医師。しかし、その素顔はベールに包まれており、プライベートについては誰も何も知らないミステリアスな人物だ。
そんな彼女の最近の関心ごとは、病院内の雰囲気が以前と変わってきていること。そして茶屋坂は、その「変化」の中心にいる徳重(松本潤)のとある過去を知ったことから、まるで獲物を狩るかのように興味と追求を徳重に向けていく──。
そんな中、茶屋坂の母・愛(朝加真由美)が、重篤な状態で魚虎総合病院に救急搬送される。それを機に茶屋坂の心身に異変が起きて……?
(引用:日曜劇場19番目のカルテHP)
茶屋坂先生は院内で「ハートのクイーン」と呼ばれ、誰もが一目置くスーパー心臓血管外科医。
抜きんでた腕を持ち、医療界でも注目されているスター医師。そんな茶屋坂先生には自分を厳しく育ててきた母親がいる。
「どうして言われたとおりにできないの?」
「あなたのためなのよ」
「あなたって本当に私の行ってほしくない方向にばかり進む」
茶道の師範である母親は娘を「自分の理想の完璧な娘」にすべく過剰なまでに厳しくしつけた過去があり、茶屋坂先生はそんな母親に反発し大人になってからは疎遠になっていた。
そんな茶屋坂先生のもとに、母親が心臓血管の病で緊急搬送されてくる。
身内の手術は倫理的に認められてはいないし、どんな医者でも精神的に耐えられないものだが、茶屋坂先生は母親のオペを決行し、一命はとりとめた。
しかし母親の半身には麻痺が残ってしまう。
その後も完璧に振る舞う先生ではあったが、手の震えが現れるなど、周りにも気づかれるほど心身にダメージを受けてしまっていた。
「孤独かつ、確執ある母親の介護」という現実と向き合う事になり、積み上げてきたキャリアを捨て自宅で介護をするか、全く面倒を見ずに施設に預けて仕事を続けるかの選択を迫られる。
徳重先生のことば
「あなたはお母様にとってたった一人の娘です。一人にさせるのは心配。そう思っていますか?」
徳重先生からずっと蓋をして閉じ込めてきた母親への気持ちを掘り起こされ、動揺してしまう茶屋坂先生。
「「母親」だから切れない」
「見捨てるなんてだめでしょ…そんなことしたら…怒られる」
「ホントは介護をすべきでしょ?」
「ママは大変なの。ママは一人で可哀想なの」
「嫌いにはなりきれないから」
母親の手術中でさえも、茶道の手順を厳しく教えられたことを思い出し、手を進めていった先生。
結局は母親の呪縛から逃れられないやるせない切なさが垣間見えました。
「なにかわかりやすい理由があればよかったのに…ただ、合わないの…なんで?にもどうして?にも答えがない…なんとなーくお互いが積み上がって、いつか溢れて…こうなった…」
「ただ合わない」…ってすごく的確な言葉だな、と思いました。自分に置き換えても本当にそうだなと思います。
徳重先生は茶屋坂先生に一つ一つ、こう語りかけました
「親子だから、血がつながっているから通じ合える。それは幻想かもしれません。」
「家族だとしても共に生きていくのが正しいとは限らない。」
「お母様はお母様の大変さがあったのかもしれませんね。でもそれは彼女の事情です。」
「あなたがそれをすべて背負い込むことはありません。」
「それに誰かのためにここまで心を傷めるあなたは…とても優しい人です」
「一度離れてみることで見えてくるものがあります。もしもまた近づきたいと思ったのなら近づくこともできるはずです」
私はこの手のドラマに関して綺麗事は絶対に許さない…という気持ちで観ているため、今回も気づけば画面を睨みつけていました(ひどい笑)
いつかきっとわかりあえる、みたいな方向にならないのはとても良かったですし、気づけば松本潤さんとウイカさんの演技に引き込まれてしまっていました。
最後、茶屋坂先生が「私、一緒には暮らせない。ごめんね、ひどい娘で」と母親に伝えると母親がそれに対し「心臓、助けてくれてありがとう」と言った場面があるのですが、そこは正直リアルじゃないかも?と思ったりもしましたが…(毒親は本当にありがとうが言えなかったりするので)
ドラマなのでね…、少しは希望があったほうがいいですよね(汗)
罪悪感の正体
前置きが長くなってしまいましたが、
親と距離を置くことへの罪悪感の正体は、単純に「親を嫌いだから」というわけではなく、
「親を大事にすべきだ」
という社会的な常識や刷り込みから生まれている複雑なものと思われます。
小さい頃から「親は大事にするもの」「親孝行は当然」と言われ続ける中で育てば、親との距離を取る=悪いこと、というイメージがついてしまうのは自然なことです。
しかし、心が壊れてしまうほど苦しい関係を続けるよりも、離れることで生きやすさを取り戻そうとする。それは決して間違った選択ではありません。
実際に距離を置いたのは「自分自身を守るため」なのです。
こうなりたかったわけじゃない
多くの場合、親と距離を置く人はできればそうはなりたくなかったと思います。
むしろ
「本当は仲良くしたかった」
「理解してほしかった」
という気持ちが強いからこそ、裏切られたような苦しさが積み重なり、心を痛め、最終的に距離を置かざるを得なかったのだと思います。
言いたいことを言える家族、たとえ意見の食い違いがあっても心の奥底は繋がっている家族。
それが当たり前だなんて思ってもみませんでした。
罪悪感とどう付き合うか
罪悪感はすぐに消えていくものではありません。これは当たり前のことです。
どうしても罪悪感が出てきてしまったのなら、
「私は自分を守るために距離を取ったんだ」
「あのときの私に必要な選択だったんだ」
と何度も思い出すことが大切だと思います。
親と距離を置くことは
「自分が自分にしてあげた、生き延びるためのセルフケア」なのです。
どうか心休まる方向へと、自分で自分を導いてあげてくださいね。
いかがでしたか?
なにか気づいたことがあったら、短くても、小さなことでもなんでもいいのでコメント欄に書いていただけるとうれしいです。
今日もここまで読んでいただきありがとうございました。